2021/04/1

大 chotto crazy 2021 公募受付方法変更のお知らせ

2021年2月13日から開始した、実現したいことのオンライン公募エントリーフォームのコードと設定に誤りがあり、2月25日以降の公募エントリーがサーバーに記録されていないこと、また、受付完了メールが自動送信されていないことが判明しました。

現在(2021年3月28日)、どなたからご応募があったのか、全く把握できていない状況です。これまでにご応募頂いた皆様、本当にごめんなさい。
独学の不完全なウェブコーディングが原因で、エントリーの受付がうまく機能しませんでした。

早急に新たな方法で公募のご案内できるよう準備いたします。

2021年4月1日 (木)
エントリー方法を改め、「実現したいこと」の再公募を開始しました。


大 chotto crazy 2021 への意気込み

今ある方法をより簡単にして「誰にでもできる」ようにすること、たくさんの人が「自分にもできる」と思える方法をつくることが、ものごとを進化・成長させる方法、いわゆる創造、創作だって俺は思う。

たとえば、ジャズ、パンク、ヒッポホップ、ヴェイパーウェーブ、新しい音楽が生まれたきっかけはいつも、自分にもできるっていう初期衝動だったっていうし、適当なオリジナルの鼻歌を歌ったり、ダサい曲を聞いて「これくらいなら自分にもできる」って思ったりしたことがきっと誰にでもあるくらい、音楽は身近にある表現分野だからこそ、進化し成長を止めないんだと思う。

音楽だけでなく、映像コンテンツや文学、デザインなど、自分にもできると思える人が多い分野は、自由で楽しい。

だけど、それらすべての源といってもいい、美術の価値観はいまもなお古臭いままだって感じる。
例えば、世界的な歌手といえば?日本を代表する歌姫といえば?と質問されても、自分の答えはあると思うし、大衆的なイメージを答えることだって出来ると思う。
だけど、アーティストと言えば?画家といえば?って質問されたら、ほとんどの人は大昔の偉人の名前を答えるんじゃないかなって思うくらい、身近じゃないし古い。
美術=絵画、工作って基準でとどまっているのはあまりにも時代遅れだし、特別な技法や知識をただ見せることが美術だって考えはおかしいと思う。

俺の価値基準は常に美しさにある。だから美術を好きになったんだろうけど、一般的に定められているような美術の価値や魅力と俺の好きな美術には大きな差があるように思う。
決して俺の基準が正しいって主張したいわけではなくて、その主張が受け入れられないくらい、一般的な美術の間口は狭いって俺は思ってしまっていることを言いたいだけ。


まともに美術教育を受けたことないし、正しいかなんてわからないけど、知識として学ぶ絵画の歴史や制作技法じゃなくて、美しいという基準で人を豊かにする術が美術だって俺は思う。
写真の誕生以降、美術がどれだけ自由に進化したかとか、美の価値観を広げようと先人たちがどれほど創造的な工夫をしたのかって話を、音楽とかお笑いの歴史くらいだれとでもフラットに話せたら。
千利休が壊れたものや不完全なものを美しいと考えたように、マルセル・デュシャンが作品だけではなく作品を見て美しいと思う鑑賞者がいて美術が成立すつことを提示したように、アンディ・ウォーホルが一点物と大量生産されるデザインを同様の価値ある美術と扱ったように、新しい美しさを考えることが「誰にでもできる」ことだってと思えるようになるんじゃないかなって思う。

専門的な知識や技術がなくても、美術だったら俺にでもできそうな気がしてる。そう思って美術を好きになる人がもっと増えればいいと思う。

正しさとか評価とか技術なんて、ほんとどうでもいい。
現代美術最高!大好き!って気持ちを、大 chotto crazy 2021で存分に発散したい。


2021.3.28 (2021.4.1 加筆)
大 chotto crazy 運営委員長

ささじまかずま


chottocrazy.pe.hu

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